*御守り*






元旦と言えば初詣。


「おや、これは珍しい御方が居りますの」
神社の本堂の裏側。白装束を身に纏った老翁が木造の廊下を歩いていると、そこに珍しい人を見つけた。
帽子とサングラスとマフラー…ボーダーのトレーナーにそしてこの季節に合わない半ズボン姿の青年。
その人は冬の空気で冷えた廊下の端で腕を額に当てながら横になっていた。
「…わり、ちと邪魔してる」
青年は、自分に声をかけたその主が誰なのか気付くと、顔も上げずに返事をする。
腕の下から見えたその顔が少し青かったように見える。
「…貴方様がこの時期ここまでおいでになるとは、珍しいことも御座いますな」
老翁はそのまま青年のすぐ横に腰をかけた。
「ん…まーちと野暮用でなぁ。とはいえ、情けないことにこんなザマだけどな」
苦笑交じりに青年は答える。額には真冬にも拘らず少し汗が滲んでいた。

暫くの間の後、青年が呟く。
「…苦痛なんて昔はそれほど感じなかったのになぁ。いつからこんなに弱くなっちまったんだか」
はは、と若干自嘲気味に笑う。
「決して貴方様が弱くなったわけではございますまい。こればかりはどうしようもない…仕方のないことです。
 今は…この社から溢れ出た言霊がここ一帯に満ちております故、なんとも騒がしいですからな。
 そしてそれを一身にお受けしてしまうとあれば非常に苦痛でしょう」
老翁は目を閉じ、耳を澄ます。耳を澄ますことで、現実に響いている声と、そうでないものの声が分けられる。
今、ここ一帯には、神社の表に響き渡っている人々の声とは別の声が溢れかえっている。
それは普通の人には聞えず、そして耳を塞ぎたくなる程に騒がしい声の塊。
ここで横たわっている青年の耳には、その声が翁の耳に届くもの以上の大きな塊となってとめどなく押し寄せる。
「…本来は、貴方様がそうならないよう我々が居りますのに…お役に立てず申し訳ございませぬ」
老翁は申し訳なさそうに呟いた。

人に聞えない騒音、声の塊…それは人々の、神様に対する願いの声。

初詣。人々は社を通して神様へ今年一番最初の願いを告げにやってくる。
普段はこの社そのものと、社の中に響く楽器の音が、参拝に来た人々の願いを昇華し世界へと還元する役目を持っている。
しかしそれらはすぐに全ての願いを昇華させることができるわけではない。
そのため、その社の許容量超えてしまった願いの声は一時的に溢れ、昇華されるまでの間その周辺一帯に漂うのである。
参拝客の多いこの時期などは特にそうだ。すぐに願いが溢れてしまう。
ここに投げられた思い思いの願いの全てを昇華させるには、実はかなりの時間がかかるのである。

「ヒトの願いってのは些細なもののようにみえてその実重いもんだからな。しょうがねぇよ。
 お前らが悪いわけじゃねぇ。つーか悪いことなんてどこにもないんだから」
青年は全てわかっているという雰囲気でそういった。
老翁は誠に申し訳ない、と頭を下げる。


「しかし何故また今日はこちらに直に御出でになられたのですか」
「ん…だから野暮用。お前にはかんけーねぇよ」
「成程、野暮用でございますか」
わかっててきいてるだろう…と青年が睨む。
老翁はそれを受けてくっくっと笑った。問いかけたところでこの方が素直に答えてくれるなどとは最初から思っていなかった。
彼がこの日、自分が不調になることをわかっていてここに来た理由については…既にある程度見通しはついていた。
「お連れに御心配をかけてまですべき御用でしたか」
「ったく…いいじゃねーか別に。ただ俺が来たかったんだよ」
「ふむ、左様ですな」
翁はつい湧き上がる笑みを堪えながら立ち上がると、懐から何か取り出してそれを青年に手渡した。
「これは…?」
「ふむ、本日はなんといいますかな、多くのものに混じったなかになかなか見過ごせぬ願いがありましたのでな。これはそれにお応すべく即席で御作りしたまでで」
青年の掌には、お守りが一つ。
「…珍しいなこりゃ。翁手製のお守りなんて久し振りに間近で見るよ。こりゃ新年早々ご利益がありそうだなぁ」
老翁が自らの力を使って作り出した物。それは実質神具に等しいといっても過言ではない存在。
「お褒めに預かり光栄に御座います。それで少しは御身の負担も減りましょう」
「コレ俺が貰っていいのか?そりゃスゲー助かるけど…」
「勿論ですとも。ああ、それとその御礼は是非とも御連れの娘さんに申し上げください」
え…?と青年は起き上がって翁の方を見た。
「申し上げましたでしょう。見過ごせぬ願いがあったから御作りしましたと。何せそれは彼女の願いがなければ生まれなかったものですからの」
老翁は目を細め小さく笑った。
青年はその言葉の意味を悟ると、頬を掻きながら「そういうことかよ…」と小さく呟いて笑った。
「では私はこれにて。本年も良き年になりますよう」
「ああ、今年も宜しくな、翁」
「こちらこそ宜しくお願い申し上げます、MZD殿」
老翁は一礼して懐から面を取り出し、身につける。すると同時に一陣の風がそこに吹いた。
一瞬視界を奪われ、青年ーMZDは目を閉じる。
そして風が通り過ぎ再び彼が目を開いた時には、老翁の姿はそこから消えていた。


MZDは翁が最後に言った言葉を思い出しながら、自分の掌に残されたお守りを見つめる。
何か暖かさのようなものが静かに伝わってくる。それを手にしているだけで身体が大分楽になった気がした。


…そのお守りから伝わってくる暖かさは、自分を想ってくれたそのヒトの優しさそのものなのだろう。





「あっ!かみー、ダイジョウブっ?」
透き通った 声とともに足早に砂利を踏む音が遠くから聞えてきた。
赤を基調とした絵羽模様の振袖、丁寧に纏め上げられた金色の髪には鼈甲の簪。
目をやった先には、普段と全く様相を異にする和装につつまれたジュディの姿。
慣れない履物にちょっと歩きにくそうにしながら、それでも一所懸命急いでMZDのいる方にやってきた。
MZDは手を振った後、さっきまで横たわっていた本堂の廊下から直接下に飛び降りた。
そしてあんま急ぐと転ぶぞー…とMZDが言ったまさにそのとき、足元の石に足を取られ転びそうになるジュディ。
あわやというところで飛び込んできたMZDの影に支えられ難を逃れた。
「お前なぁ…振袖着てるときくらい落ち着けよ…」
普段から元気が余りすぎて顔面から地面に転ぶような娘である。
見ているこっちがハラハラする…と苦笑しながらMZDはゆっくり歩いて彼女の側に寄り、
手を取ってその身体を支えてやった。
「あはは…ゴメンネー」
次はちゃんと気をつけるから、とジュディは笑いながら言った。
そしてそんなことより、と思い出したようにジュディはMZDの顔を覗き込んで、その額に掌を当てる。
「神、キブンは?まだツライ?」
彼女の掌はとても温かくて、冷たい風に当たりっぱなしで冷えきった額を優しく暖めた。
「ん、ああ…大丈夫だよ。てか誘ったのこっちなのに心配かけて悪かったなぁ」
「大丈夫」という言葉と、さっきに比べて比較的良くなった顔色を見て、ジュディは良かった…とにっこり微笑んだ。
「ううん。今日は誘ってくれてそれだけで嬉しかったヨ。神、こういうところニガテなのに無理してくれたんデショ?」
ありがとう、とジュディはお礼を言う。
神が今日初詣に誘ってくれたのは、
久し振りに取れた年末年始の休みに一緒に過ごす相手がいなくて寂しがっていた自分を気遣ってくれたからなのだろう。
一体どこからこの話を聞きつけたのかというくらい突然の誘いで驚いたのだが、
その申し出があまりにも嬉しくて、即OKの返事を出してしまった。
今思えば、あの時本当に大丈夫なの?ってちゃんと聞けばよかった。
現に神社の人込みの中に暫くいたらMZDはすぐに調子悪そうになってしまったし…。
その時当の本人は大丈夫だと言っていたけれど、やっぱり無理だけはさせたくなかったので、
ジュディはMZDを人込みのないこの場所に移動させて休ませ、一人で御参りを済ませることにしたのだった。


…MZDはこの時ばかりは身体の不調を我慢できなかった自分を恨めしく思った。
神様が神社に参拝するのもそもそも変な話ではあるが、それはさておき、御参り含めて本当はずっと一緒にいるつもりだったのだ。
なのに結局待っていることしか出来なくて…もう不甲斐無いとしか言いようがなくて。

でも…今回に限っては、それで得られたものがあった。
むしろこれは、そうでなければ得られなかったもの。



「ジュディ、ありがとな」
綺麗に結い上げられた髪を崩さないようにMZD優しく彼女の頭を撫でてやった。
突然のことで何のことかわからず、ジュディはキョトンとしてしまった。
「…やっぱ、今日誘ってよかったよ」
MZDにそう言われて、ジュディは赤くなる。
「え…え…??でも、私…何もしてナイ…よ?」
むしろ誘ってもらえて嬉しかったのは自分の方で、
それよりも今日は一人だけ楽しんでばかりで何もしてあげられず申し訳ないくらいだったのに…
「いや、してくれたよ。もう充分なくらいにな」
彼女が鈴を鳴らし、そこで何を祈ったのか…それはMZDの首に下げられた御守りが物語っていた。
もっと自分のために願い事使えばいいのに…と思いつつも、そのことがくすぐったく感じるほど嬉しくてしょうがなかった。

戸惑い、ちょっとだけ困惑するジュディをよそに、MZDは一人満足そうに笑った。



いい年になる、きっと今年も。




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そんなわけで今更ですがあけましておめでとうございます。
毎度のパターンでもうs(中略)…こ、今年も宜しくお願いいたします!
(20060109)



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photo by NOION +++thanks!!